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第四十四回 実践(リアル)合気道
広域指導者資格認定合宿レポート

 5月5日、令和初めての合気道広域指導資格認定合宿が開催された。参加者は30余年の稽古年数を超える高弟を筆頭に10名前後である。
 まず、櫻井代表師範は武道の修行過程である「守・破・離」についての説明をされた。

 守・・・師匠の技(型)を忠実に真似る事。
 破・・・教えられた師匠の技(型)を自分のものとするべく研究を重ね、真似事ではない自分自身の技(型)を会得すること。
 離・・・真似事ではない自分自身の技(型)を会得し、さらに技(型)の本質を理解してそして師匠から教えられた型を離れ、自在となること。

 特に技(型)を忠実に真似る事ではなく、本質を理解して体現することが一番重要であることを強調されていた。
 昨今の合気道会は、師匠の技を真似る事(前記の守)に主眼を置き、技の本質を理解しようともしていない。これでは武道として意味がないと危惧されていた。
 さて、今回も3~4名にグループ分けをしてまず代表師範のポイントの説明。そして、お互いに基本動作、指定基本技を批評し合う方式で行われた。
 何度となく行われているこの方式は、武道歴が長ければ長い程精神的に苦しく、辛い方法である。長ければ30余年、短くても3年の武道歴の同門同士が、先輩・後輩関係なく批評する。基本動作を丁寧に稽古してきた人、適当に流してきた人。技のポイントを忠実に稽古してきた人、自分流に勝手にやってきた人。稽古への姿勢のすべてが詳らかにされるからである。正に人間性を垣間見られるようなものである。他人に批評され、気づき、受入れ、修正。合気道の技も人間性もこの工程により進歩がおこなわれるのだと再確認した次第である。

 代表師範は、核(丹田)と核(丹田)から発生する力を手足の末端に伝えることを意識してするようにと指導された。
 基本動作および技は、核(丹田)から発生する力で動かすこと。初めは意味が分からないが、神経を集中させることによって、徐々にではあるが他人動きの中で核(丹田)から発生する力が見えてきたり、自らも核(丹田)から発生している力で基本動作を行っていることを体感できるようになる。意識することの重要性を感じた。
 この核(丹田)から発生する力は初動がわからず、攻守共に相手が反応できないのである。技を掛けられた瞬間にいつのまにか倒されたり、当てたつもりの攻撃が躱されたり。素人は倒されたり、躱されたりを偶然と捉えるだろうが、偶然と思わせるようなものを「技」と呼ばず何と呼ぶのであろうか。
 例えば、格闘技の対戦相手に「偶然のタイミングで対戦者に関節技を極められ倒された。今回は負けたけど手応えはなかったから次は勝てると思うよ。」と思わせること・・・・これこそが達人の技なのではと感じた次第である。(真剣勝負なら次の闘いはないのである。)
 
 続いて「力の通る道を読む」ことについても述べられた。
 力の通る道を読むということは、相手に技を掛けた場合、自分の力が相手の身体のどこの部分を通っているかを読むということである。力の通る道がわかれば、逆に力の通らない道(相手が踏ん張れないところ)に力を通して倒すことができるのである。
 上段腕がらみを例にすると、上段腕がらみに組んだ姿勢で相手の体の中に核(丹田)から発生している力を通し、踏ん張れないところ(足元の微妙な位置)に力を通すと相手が倒れるのである。相手は核(丹田)から発生している力で初動がないため反応できず、かつ踏ん張ることの出来ない場所に力を通されているため「フニャ」と膝から崩れるのである。この「力の通る道を読む」意識することによって徐々に通る道が読めてくるものである。脳なのか意識なのか・・日頃使用されないどこかの部分が総動員され、汗をたくさん流して疲れるのとは異なった疲労感を参加者一同感じていた。
 身体を動かすのでななく、意識を働かせるという新たな修行方法。困惑する者、歓喜する者とに分かれたが、武道の修行という意味で濃厚なものであった。

 合宿の最後に教授3段審査が行われた。合気道歴3年弱、55歳にもかかわらず20を超える指定基本技を暗記し、指導方法を口述・展示する。社会的地位も高く、時間の遣り繰りも相当大変であっただろうと想像できる。その熱意には脱帽である。「人は人によってのみ磨かれる。」とあるが、切磋琢磨できるこの環境に感謝をしないではいられないと感じた合宿であった。

<合気道S.A. 広報部>
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国際実践合気道連盟「合気道S.A.」